みなさまこんにちは。インド在住のMANOです。
2017年8月にインドに「就職」という選択肢で来ました。なぜインドだったかというと
「インドに仕事があったから」
理由はこれだけでした。そもそもサロンを8年やってた私が突然辞めて、フィリピンに英語留学して海外就職、しかもインド就職をしたのかっていうことですが、そこにはある人の影響が大きかったのです。ある人ってもう書いちゃってるけど(笑)
GACKTさんです。
私が人生の節目で背中を押してもらったのはGACKTだったんだよねー
30過ぎて英語も話せないのに海外就職ってね。アホでしょ笑
でも、行動するのに早いも遅いもない!ってことと、自分が信じた道、やれると思ったことをやり抜けるかどうかってことが大事だよーってことを教えてもらいました。
今、ホットな仮想通貨の詐欺容疑で逮捕?で騒がせておりますが、もう週刊誌とかネットニュースのこれ系は慣れっこなので、なんでもどーぞって感じになっております。GACKTファン歴20年w
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昔から海外への憧れといつか働きたいと思っていた
最初はパリで働きたかった
小学生の時からなんとなく憧れていた海外。そして、中学生くらいの時はフランスに住みたいと思っていました。ファッション関係の仕事につきたく、最初憧れていたのはパリコレに関わる仕事!
フランスに住みたい、フランス人になれないものかと真剣に考えたものです。NHKフランス語講座始めたのもこの時期ですね〜
パリといえば!憧れベスト3
- パリコレ オートクチュール
- ジャンポールゴルティエ
- ムーランルージュの世界観
高校卒業後、行きたかったファッションの専門学校は学費が高すぎ、短大に行きながら専門学校のお金貯めていたんですが、それでも目標金額には達しませんでした。
でも諦められなくて、うーーーん・・・発想の転換しよ!ってことで着物の専門学校に行きました。
パリでファッション関係の仕事狙うなら着物役にたつんじゃね?っていう考えでした。
その後、卒業してすぐはもちろんパリに行けるわけもなく、着物業界へ就職。ジャンポールゴルティエのライセンスを日本で持っている大手の会社で、浴衣と着物もあったので少し近づいた??
いえいえ。。。全く(笑)
1年目でゴルティエのライセンス切れて取り扱いなくなりました。
2社目はフランスのギフトショー(展示会)で自社商品を出展している日本の服飾雑貨のメーカーへ。とりあえず仕事でフランスに行ける方法!を選んだのです。
しかし、生産管理部に配属され、海外出張は中国・韓国・インドでした・・・
ここまではしっかり「フランス軸」があって仕事を選んできたんですが、仕事で希望した海外に行くっていう難しさを突きつけられたのです。
しかも忘れてはいけない。努力足りなかったと言いましょう。
そもそも語学できん!!
「仕事でパリに行く」から「旅行でパリに行く」に方向転換
そこで、ある出会いをきっかけに方向転換をすることになります。
ある人に
「なんで仕事でパリに行きたいの?自分で稼いで旅行で行くパリはダメなの?』
たしかにーーーー!!
もともと仕事で行きたい理由の一つは仕事として会社のお金で行けるパリを狙っていたから、お金があったら旅行で行けるのか!!って気づいた瞬間でした。(早よ気づけ!)
そして、2度目の転職は
「今より稼げる仕事」
「手に職をつけれる仕事」
「独立起業できる仕事」
ってことでエステティシャンを選び、その後10年近くその仕事をすることになったのです。
なので、「パリで働きたい」意欲は「パリに行くために稼ぐ」に方向転換しました(笑)
今のように、海外就職なんてしている人まだまだ少ない時代で、駐在員でパリなんて!職種も限られる。出張で行くよりとりあえず行ける方法を優先したわけです。
いつの頃からか憧れは「パリ」から「海外」へ
働き出して、いろいろな人と話をすることでパリへの憧れは次第に「海外」という枠に広がっていきました。エステサロンをしていたので、そもそもヨーロッパに行く長期休暇をとる勇気がなく、短期でアジアに行くことが増えたり、アメリカに行ったり、海外の仕事の話もするようになったことがきっかけです。
もう美容業にどっぷり浸かっていたので、ファッションよりビジネス、そして、美容と健康への興味がファッション業界への憧れを超えてしまっていました。
なので、「パリに行きたい」がいつの頃からか「海外で何か仕事したい」に変わっていたのです。
GACKTの背中を見ていたらまた海外を目指すようになった
日本ベースで仕事をしながらも「仕事で海外に行ける日がきたらいいな〜」とは起業して3年目くらいから思うようになりました。とは行っても、あまり大きな行動はできぬままで仕事をする日々を過ごしていました。
起業して5年目くらいのときにエステサロン以外の事業もはじめ、時間とお金に余裕ができてきた頃、またGACKTさんのライブに行ったり、ブログを読んだりする時間をとるようになりました。
15歳の時にGACKTさんのラジオを聞いて、この人の考え方とか、生き方かっこいーなーって思ったのがきっかけで好きになったので、「GACKTみたいに生きたい」と想い、それ以降20年間ずっと背中を見てきました。
なので、私の人生には20年間刷り込まれた「GACKT語録」「GACKT流の生き方」が常にあります。とは行っても、全然追いつけないことが多すぎますが(笑)
いつでも悩んだらGACKTならどうするかを考える
私は何か悩んだ時、決断しないといけないタイミングでは「GACKTならどうするか?」を考えて行動してきました。
実際に聞くわけじゃないから知らんやん。って思うかもしれないですが(笑)自営業してるとね、いろいろ周りに言われること多いんですよ。だから惑わされやすい。周りにいる身近な人のアドバイスを聞いても最後自分が決める時は何か軸がある方が結論がでやすいのです。
それはもう自己満でしかないし。「自分が自分に対して決めていること」ですね。
もちろんあくまで自分の考え方の基準、参考にしている考え方という意味である「GACKT軸」ですね。
詳しく知りたい人はこちらをどうぞ↓
私この本、10冊くらい人にあげたな・・・笑
GACKT流の生き方とは
これは言い出すとキリがないですが(笑)
ひとつ例えるなら、GACKTさんがソロになった時に「お米断ち」をしたという話
※ソロで売れる、成功するためには自分の一番大好きなものをやめないとダメだ!一番大好きなお米を食べないことを決めたという話
私も自分で事業を始めた時、一旦自分の趣味に時間とお金を使うのはやめようと決めたのです。
だから20年のファン歴の中で5年くらいはライブも行きませんでした。
あとは、仕事で絶対会う!と決めていました(これ中学生の時から想ってる 爆)
海外への行動のきっかけになったGACKTのフィリピン・マレーシア移住
そんなこんなで、起業して5年目の時期に少し余裕がでてライブに行ったことがきっかけでGACKTさんの発信を頻繁に目にするようになりました。
その頃、GACKTさんも海外によく行くようになったり、音楽とは別の事業をいろいろ始めたり。もともと中国語もフランス語も話せてたけど、英語の話題もよく出るようになったのです。
「これからの時代は英語と中国語が話せないと・・・やっていけない」(これは昔から言ってました)
「海外から見た日本は・・・」
「日本だけの情報だけじゃなく世界にも・・・」
と頻繁に発信するようになっていて、なんか海外目線の話多いなーって。。。気づいたら移住してた(笑)
発信を見ているときから悶々としていた気持ちにジワジワ火がつきました。
やっぱり英語話したい!!
海外に住みたい!!
仕事したい!!
※ちなみに高校生、大学生の時にもGきっかけで中国語習いましたw もう5回挫折してますが諦めてませんwww
どこかでずっと残っていた母親の言葉
実は海外に目を向けたとき、GACKTさん以外の影響はありました。昔から母親がよく言っていた言葉がけっこうずっと胸に引っかかっていたのです。
「お母さんらはいいんよ。でもあんたらの時代は日本はあるかわからんよ」
「海外に行けるようにしとかんといけん時代になるんじゃけぇ」
「海外に行っときんさい」
多少大げさな表現ですが(しかも広島弁w)
こんなこと中学生の頃からずーーーっと言われてました。母親は金融関係の仕事しているので、この見解はあながち間違ってないんだろうなーって思いながら過ごした広島での学生時代。
そんなこと言われてもーーー英語嫌いじゃし、無理じゃし!!着物でパリで生きていくって家を飛び出した割にエステやってましたが、ずっとどこか頭の片隅にはこの言葉は残っていました。
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英語を話せるようになる近道は海外に住むしかない
私、今までの人生で語学に関しては挫折しかないんです。子供の頃に早くから英語を学ぶ機会を与えられていたにも関わらず、上達せず。中学1年まではがんばった!けど、中学2年〜高校卒業までは常に英語は赤点ギリギリの成績しかありませんでした。
大学に入って強制的にTOEIC受けた時の点・・・190点(爆)
その後、オーストラリア留学行って帰って来ても360点・・・
私の英語力そんなんでした。
何度も挫折した英語の再勉強
海外に行きたいと思い直してからも3年くらい、なんらかの形で英語の勉強をするようになりました。オンライン英会話、家庭教師、英会話カフェ、スピードラーニング、、、
ありとあらゆる手でやってみたけど、結局続かないわ、たいして成果も感じないわの日々でした。
そして英語のモチベーショングダグダの時に事件が起きました。
イタリアとインドで英語を話さないと!危機感マックスに
2016年にイタリアにヨガを勉強しに行ったのです。その後インドに行きました。
この時の経験が私に「英語を話さないといけない」という危機感をMAXに引き上げました。
イタリアのTT(ティーチャートレーニング)では数十万払って行ったのに、半分くらいしか理解できなかったこと、聞きたいことを英語で聞けないもどかしさに苛まれました。
インドではお店の人、あるヨガの先生に英語が話せないと思われ、テキトーな対応をされたりということがしばしば ありました。
この当時、ちりつもで英語の勉強していた成果なのか(?)ヒアリングはだいぶできるようになっていて(のはず)相手の言っていることがわかるのに、自分の意見が全く言えない状況でした。
英語ができないだけで、得られる情報が少なすぎる。
まともに対応してもらえない。
日本語で得られる知識や情報に限界がある。。。。この広い世界で日本語だけで生きていくことを選ぶより、やっぱり英語が必要だ・・・と極度の挫折感と悔しさを味わいました。
海外に住んでみようと考える
そんな衝撃を二度も受け、帰国後やっぱり勉強せな!ってモチベーションマックスで勉強再開!!!!
けどねーーーーすぐ日常に流されるわけですよ。
なんでこんなに英語へのモチベーション続かないんだと切なくなっていた時、立ち止まりました。
私の今までの人生で達成してこれたことを思い返してみよ。
・・・・・・
仕事で必要 か 生きていくのに必要 なこと以外達成できていない!!!!
そうです。恥ずかしい話ですけど、まったく自分を律する力ないんですよ。
強制的にその環境に入らないと身につけれないタチ。だから必要なのは
危機感と強制力がある環境 だったのです。
日本で英語話せるようになった人たちもたくさんいるけど、私には絶対無理だわ!ってその時にさっぱり諦めました。だから 海外に住むしかない!と思ったのです。
留学した後も海外で生活する方法は「働く」しかなかった
でもさすがに今の英語力で、しかも海外移住はきついのではなかろうか。
そう思ったので、セブ島に英語留学という選択をしました。そして、3ヶ月そこらでめちゃくちゃ話せるようになるとは思ってなかったので、1年以上は海外にいたいと思い調べました。
・ワーホリはほとんど30歳まで。
オーストラリアが35歳までになるかも?でもまだ未定。
・観光ビザだと働けない。日本の貯蓄を切り崩しながら生活するか
日本の仕事をするしかない。その上、滞在期間が限られる。
これ以外にも色々調べた結果、
海外になるべく長くいれて、現地のお金を正当に稼ぐには海外就職しかない!! という結論になり、海外就職を選んだのです。
そして、インド就職!
詳しくはこちらの記事読んでね
▶️MANOがインドで働いている理由〜インド就職までの道のり その1〜
※海外事業展開や起業、観光を選ばなかった理由もちゃんとあるのでこれはまた書きますね。
海外就職はインドで成功!でもTOEIC受け直してません。
ま、そんなわけでインドに今いるわけですが、就職の時にTOEICいくらまで上がったんだ?とか聞かれるんですが、受け直してませんw もう大学の時のトラウマがあるので、受けたくなくて最後まで受けませんでした。
海外就職・・・TOEICなくても大丈夫なとこもあるのです
そして、海外で仕事してました。
まとめ
結局大きなきっかけはGACKTと母親だった海外就職。きっと絶対に無理だと思ったら実現しなかった。
やると決めたらやる。っていう有言実行力もGACKTの生き方から学んできたこと。
毎年3月の卒業式ライブで必ず伝える言葉
夢は見るものじゃない。叶えるもの
夢を叶えること、それは強い意志を貫くこと
海外移住を夢見てただけじゃ実現しなかった。
叶えるための方法、考える力、努力、そして最後は行動力。
実現して2年目突入したよーーー!!!!
あながちGACKT流で生きれている?なーんてちょっと思いながらも
まだまだ背中を追います。
英語はまだまだ満足に話せてないし、英語コンプレックスはあります。海外就職は人それぞれのきっかけがあります。その一つが大好きな芸能人、アーティストがきっかけだった私。そんな人生もアリじゃない?
最後に8年間関わってきたサロンのお客様、日本の色々な仕事で関わった皆様、今でも関わり続けてくれている友達や仕事仲間のおかげで私の今があります。そこは感謝してもしきれないほど、たくさんの人がいます。
突然、私のわがままで選んだ海外移住。周りには迷惑もたくさんかけたけど、それでも海外就職、海外移住を応援して送り出していただけたことは今でも本当に感謝してます!
夢を叶えるためには行動力も必要だけど、絶対に周りにいてくれる人たちの存在は
死ぬほど大きいですから。ありがとうございます。
そして、GACKTの背中を見て生きてきたから、何かの形で、自分も自分と関わった人の背中をちょっとでも押せる、そんな存在になりたいなと思って日々発信しております。